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  • 最終更新
    2024/04/26
#雑記

昔から縄文時代に特別の興味を持っていたんですが(なにせ一万年も平和に続いた時代だったので)
その暮らし方やものの考え方がどうも古代のドルイド教と結構つながる部分があるなあと再認識したりする日々でした

全ての生命はつながっている

らせん模様のシンボル

森、というか植物を最大限活用して生きる知恵など

ただ、ドルイド教は牧畜文化が基礎にありそうだからその辺りがどう影響してきているのかなあ、だとか。

縄文文化は日本の自然が豊かだったおかげで 里山の智慧のようなものが発達しており
栗の木をたくさん植えたり、自然が疲弊しすぎないよう何年か毎に住居を住み替えていたようで
おそらく土地の占有の概念がなく、争いもあんまりなかったのではと思うので
(現代だと大体アイヌ民族の生き方を考えるとかなり近しいらしい)
牧畜や農耕がベースにあるとどうしても人間同士の争いが発生してきてしまわないかなあ…とか

目立った生贄文化が発生してきたのは
もともと自然の資源がそこまでない状態で衰えた自然の力を回復させるためには犠牲が必要なんだ、と考えたからであるのか、とか

縄文で目立った生贄文化が発見されていないのは自然がやたら豊かだったから、なのかとか

ドルイドが樹を切り倒されると樹と同じ傷を伐採者につけて苛烈に罰した、などの言い伝えがあるのは
それだけ役に立つ植生、樹、自然資源が貴重だったからなのか、とか

そういうよしなし事を作業しながらつらつら考えるのが相変わらずだいすきです

自然から抜け出て、自然を支配する方向に行ってから戦争が人間の宿命みたいになってしまったけれど
太古自然と共存していた文化には戦争の必要はなかったんじゃなかろうか

ただ、砂漠地方とか、自然資源が限られているとやっぱり争いになりそうなので
それも環境次第なのかなあ…トーインとか家畜の奪い合いだしなあ…とか

色々考える

歴史を調べていると、なんだか一神教が出てきてから戦争が激化した感じがしているなあと思っていたんですが
神様がひとつだから違うものを排斥しやすいし(偏った正義感を持ちやすい構造)
神が人間のために世界を作った、(つまり自然と共に生きる、ではなく自然を人間の利益のために利用しつくす方向に思考の基礎がある)
なんていう考えが基礎にあるからでは、とちょっと考えたりもしています

これは個人的な好き嫌いですが、多神教の優しい考え方、自分は好きだなあ

そう考えると、自分の推しサバさんってケルト、古代ギリシャ、インド、日本なので
多神教文化圏ばっかりですね こういうところにも好みって現れるものですねえ